高等部ブログ
リード通信/本気で東大を目指すということ⑯
2026/02/13
リード予備校忠節校忠節校舎で英語を担当している高橋です。
前回までの投稿 ↓
リード予備校忠節校のブログをまとめたものは
昨年4月から、忠節校舎の東大を目指す高3の生徒たちに不定期に添削課題を出していましたが、
今回は彼らがやってくれた英語の添削課題について書いてみます。
東大の入試英語問題は英語の問題としては実はそんなに難しくないです。
少なくとも文章レベルでは難関私立(例えば一昔前の上智大とか)の問題の方がよっぽど難しいです。他にも、近年難化した名古屋大学の入試問題とか、何なら一昔前の岐阜大学の入試問題の方がずっと難しかったりします。(だから授業中によく「東大なんて簡単だろ」と言って生徒を煽ってます(笑)。)
いや、まあ難しい問題も中にはありますが、それらはむしろ例外です。全体的には文章も平易ですし、必要とされる語彙レベルもそこまで高くありません。基礎力を問うような問題が圧倒的に多いです。
じゃあ、何が難しいかというと、、、
東大は「英語力」というよりも「論理的思考能力」を試す問題が多いです。(東大の英語入試問題を見ていると、東大が「英語力の高い生徒」よりも「物事を論理的に考えることが得意な生徒」を欲しがっている、ということが本当に良くわかります。)
その最たるものが試験一番最初に出てくる「要約問題」であり、この問題こそが東大英語入試の一番の特徴であると言っても良いのではないかと思っています。
そのため、毎回の添削には必ず要約問題を入れていました。
最初のころは、「先生、要約問題って文章のどの部分をとってくればいいですか」と聞いてきた生徒たちでしたが、、、。(もちろん、「どこを取ってくればよいか」なんて文章によって違います。「この部分をとってきて訳したらそれでOK!」なんて単純な問題を天下の東大が出すわけありません。)
1年近くの間添削を繰り返し、最終的にちゃんと形になったかな、と思っています。
本番まであと少し。彼らを含め、リード生のみんなに最高の結果が訪れるように祈ってます!
、、、土屋先生に、「英語の添削について書いて下さい」と何度もお願いされ、書いてみました(笑)。
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忠節校舎で出しているリード通信のバックナンバーをアップしておきます。
今回は2025年1月に出したVol. 39です。記載された内容は当時のものですのでご注意ください。
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リード通信Vol. 39 (2025年1月号)
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
1,今月のお話
はるか昔の話ですが、私は大学で社会学を専攻しました。
高校まで社会が好きでなおかつ得意だった私は、「せっかくカナダに留学するのであれば歴史を専攻してカナダ史を研究しよう」とただ何となく思っていました。
しかし、1年生のときに受講した「カナダ史入門」の授業は、課題図書1冊とそれについての論文形式の小テストがほぼ毎週課される、という形式でした。まだ1年目で英語もままならない状況で、なおかつカナダ人なら大抵知っているようなことも知らない自分にとって、この講座はハード過ぎました。
週末はパーティーに繰り出す他の寮生を横目に必死になって勉強し、何とか単位は落とさずに済みました。(私の人生で一番必死に勉強したのがこの時期です。)しかし言葉のハンデがある中での歴史専攻は正直厳しいと感じてしまいました。
さて、では何を専攻しよう、となりましたが、たまたま1年後期に受講した「社会学入門」が面白く、そこから方針転換して社会学専攻にしたのでした。
と、ここまでは完全に余計な話で、今回はその社会学から「感情資本主義」という新しい考え方を紹介します。
あなたの「心」は誰のものでしょうか?
あなたのもの?本当に?
資本主義社会においてはあらゆるものが経済活動の中に取り込まれていきます。そしてそれは人間の心も同様です。
もともとは「個人のもの」であったはずの感情は、20世紀以降、産業の発達とともにどんどん公的なものへと変貌しました。例えば労働環境においても、健康経営、アンガーマネージメントやウェルビーイングといったキーワードが社会に浸透しています。
労働者は状況に応じて表現すべき感情を察知して、適切な感情表現を行う「感情管理能力」が求められますし、企業も彼らのメンタルヘルスをリスクとして捉え、その把握と管理に乗り出しています。
一見すると、労働者は健康になるための手厚い福利厚生を受けているだけのようにも見えます。
しかし別の視点で見ると、本来プライベートなはずの感情が「資本」として扱われ、生産性向上のために利用される、ということになります。
従業員のメンタル不調は本人にとっても事業主にとってもマイナス、生産性を最大限にするためには、小さなストレスにもマメに対応して、常に従業員をポジティブなエネルギーに満ちた状態にしておくことが大事。それが従業員と事業主双方にとって利益をもたらす。
このような状況では、ポジティブ度が高く精神疾患の度合いが低い人が、「機能的」で「健康」で「正常」で「幸せ」で、だから「善」となります。
逆にそうでない人は「悪」となるでしょう。「悲しみ」や「怒り」はネガティブなものとして捉えられます。
しかしその結果、社会を変革する力も損なわれているのかもしれません。
このように、社会学というのは、「世の中の前提を崩して別の視点を得る」学問です。とても面白い学問なので、皆さんには大学の教養課程で選択してみることをお勧めします。
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2、田辺の一冊 田辺の独断と偏見で本を紹介します。
岩波文庫『日本近代文学評論選 昭和篇』
約30人の昭和の文学者の評論などを集めたものです。当時大きな議論を呼んだものが多く入っており、現代においても読むべき文章がはいっています。
特に印象に残っているのは川端康成の横光利一弔辞です。
横光利一は川端康成の盟友で『旅愁』などの作品がありますが、敗戦直後の1947年に49歳で亡くなりました。この弔辞は非常な名文で、横光の死に川端がどれほど大きなショックをうけたかが伝わってきます。
「君を敬慕し哀惜する人々は、君のなきがらを前にして、僕に長生きせよと言う。これも君が情愛の声と僕の骨に沁みる。国破れてこのかた一入木枯にさらされる僕の骨は、君という支えさへ奪はれて、寒天に砕けるやうである。」
「君の骨もまた国破れて砕けたものである。このたびの戦争が、ことに敗亡が、いかに君の心身を痛め傷つけたか。僕等は無言のうちに新たな同情を通はせ合い、再び行路を見まもり合つてゐたが、君は東方の象徴の星のやうに卒に光焔を発して落ちた。」
「横光君
僕は日本の山河を魂として君の後を生きてゆく。幸い君の遺族に後の憂えはない」
親族が早くに亡くなり天涯孤独であった身で、敗戦、親友の死という経験をした川端は「私は戦後の自分の命を余生とし、余生は自分のものではなく、日本の美の伝統のあらはれであるといふ風に思つて不自然を感じない」という強い自覚と覚悟をもっていました。
幻想的なものや奇妙なものに見える作品も多い川端ですが、そこには川端が見つめた日本の姿があらわれています。令和の今でも読むべき作家であると思います。
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3,高橋の各国つれづれ訪問記
高橋が過去に訪れた国を紹介するコーナーです。読んでも特に何の役にも立たないので読みたい人だけどうぞ(笑)。今回はアルゼンチンです!
首都:ブエノスアイレス
最大都市:ブエノスアイレス(人口約312万人・都市圏人口は約1,540万人)
面積:約278万平方キロ(日本の約7.5倍)
人口:約4,665万人
一言メモ:「ヒトの2倍牛がいる」と言われるくらいの世界有数の牛肉生産国・消費国・輸出国。ちなみに高橋は自転車旅行だったにも関わらずアルゼンチンで牛肉食べまくって10キロ太りました、、、。
南米で陸路で移動できる最南端の町はアルゼンチンにあります。従って、アルゼンチンは私のアラスカ~南米自転車縦断旅行において最後に訪れた国でした。
国土も広大で、なおかつブエノスアイレスその他で長期滞在(停滞)してグータラ生活を送ったこともあり、アルゼンチンは合計4ヵ月以上も滞在しました。そのため本当に多くの思い出があるのですが、その中でも真っ先に思い出すのは良かったことや楽しかったことではなく、辛かったことです。
北の国境から南米最南端まで内陸奥深くを3,800kmにわたってアルゼンチンを南北に貫く「ルート40」という国道があります。私はあちこち寄り道しながらも基本はこのルート40を進みました。
ルート40はずっとアンデス山脈に沿っているので景色は最高な道ですが、特に南部はパタゴニアという「世界で最も人が住んでいない地域の1つ」を通るため、どこまでも無人の荒野を進むことになります。
実際、230kmもの間集落が全くない区間がありました。
1日100km計算で、3日分の水と食料を自転車に積んで漕ぎ出たのですが、そんな荒野にある道が舗装されているはずもなく、重い荷物を積んだ自転車は砂利にハンドルを取られ、まともに前には進みません。
おまけに「ゴー」という音を立てながら荒野を吹き荒れる風。周りの木はどれも低木で、しかも幹がお辞儀をしています。この風を顔に受けると急激に喉が渇きます。
余裕をもって水を持ってきたはずなのに、2日目の夜に水がなくなりました。
3日目、相変わらず暴力的な風の中を漕ぎ出すも、急激に喉が渇きます。口の中が完全に乾燥し、唾すら出なくなりました。おまけに、あと何キロ走れば集落に着くのかも分からない。助けを求めようにも、そもそも車なんて通らない。
本当の「渇き」がどれほど辛いかをこのとき初めて知りました。
午後1時に家が5軒くらいしかない小さな集落にたどり着き、店で2リットルのコーラを買って飲みました。あれは本当に命の水でした。
、、、でも、そんなことも今ではいい思い出です(笑)。























































