高等部ブログ
リード通信Vol. 11バックナンバー(2022年9月号)
2023/05/31
こんにちは。忠節校舎で英語を担当している高橋です。
水曜日は長良校舎に来ています。
長良高校は中間テスト真っ最中。岐山高校も明後日からなので、多くの生徒が自習室に来て勉強しています。
2週間ぶりにリード通信のバックナンバーをアップしておきます。今回は2022年9月号です。
このときは3Dプリンタについて書いたのですが、今日、薬を長時間体内で作用させることを可能にする、複雑な形状の錠剤を3Dプリンタで制作した、というニュースがありました。
3Dプリンタはこれから様々な分野で活躍することになると思います。
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忠節校限定! リード通信Vol. 11 (2022年9月号)
(なるべく)毎月1日送信。ただしいつまで続くかは??
1、今月の予定(省略)
2、今月のお話
今回は、家も道路も衣服も医療器具もさらには食事も全て「印刷する」時代がくる、というお話です。
数年前になりますが、ある研究者が3Dプリンタがもたらす未来について講演しているのをTEDで視聴しました。(TEDは様々な分野の人が様々なテーマについて講演をしているのを集めたサイトです。)
当時はまだ3Dプリンタにも多くの欠点があり、例えば立体物を「印刷」するのに長い時間がかかったり、使用できる素材に限りがあり頑丈なものは作れなかったりしたようです。
しかし講演者の彼女は日々進歩する3Dプリンタ技術を紹介し、あらゆるものが「ボタン一つで」手に入る未来について熱く語っていました。
そして講演の最後に、彼女が「実は今日私が着ている衣服全てが実際に3Dプリンタで作られたものなのです」と明かしたときには、私も本当にビックリしました。
現在、3Dプリンタは様々な分野で活用されつつありますし、また盛んに研究も行われています。
例えば、ナエキ、アディダス、リーボック、ニューバランス等の靴メーカーは3Dプリンタで作られたシューズを数年前から販売しています。従来の既成品と違い、3Dプリンタは細かいカスタマイズが容易なので、真に個々の身体にフィットした製品を作りだすことができます。
面白いところでは、山形大学工学部の川上勝准教授は3Dプリンタを使って介護食を自由にカスタマイズする研究を行っています。見た目も食感も美味しい介護食が出来るだけでなく、ケアワーカーの負担軽減にもつながると期待されているようです。
慶應義塾大学環境情報学部の田中浩也教授は、「30年後には、ほとんど全ての日用品は3Dプリンタで作られるようになる」と予測しています。
しかし3Dプリンタがすごいのは、様々なものを作ることができるだけではありません。
これまでは、製品は問屋に卸され、そこから店舗へと送られ、そして各消費者の手へと渡っていました。ネット通販でも、商品を届ける配達業者が必要でした。
3Dプリンタはこれら全てを不要化します。なぜなら、消費者はパソコン画面上で選んで、必要に応じてカスタマイズして、そして「印刷ボタン」を押すだけで欲しいものを手に入れることができるからです。
、、、物流に「革命」が起きる可能性がありますね。
3Dプリンタ関連の研究は多くの大学で行われています。興味のある方は調べてみると良いと思います。
高橋
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3、田辺の一冊 田辺の独断と偏見で本を紹介します。
入江隆則『敗者の戦後』
私も少しは戦争に関する本を読んでいますが、やはり日本の戦争に関しては筆者それぞれの見方があまりに違っていて、興味深い視点を得ることもあれば、それはないだろうとうんざりすることもあります。
何においても比較をするというのが冷静に考えるための一つの手段になりますが、
この本はナポレオン戦争の敗者フランス、第一次世界大戦の敗者ドイツ、第二次世界戦争の敗者日本を主に戦後処理の点から比較したもので、いろいろ勉強になりました。
面白かったのはナポレオン戦争についてです。
戦後処理が話し合われたウィーン会議は例えばフランスの代表タレーランが国一番のコックと美女を連れて行き優雅さをアピールしたなど、後の世界大戦などでは考えられないほどのんびりしたもので、「会議はおどる、されど進ます」と揶揄されることもあります。
しかし、筆者は「敗者を痛めつけて無駄な優越感にふけるのは無用だった。」として戦後の秩序を安定させる、感情的にならない優れたバランス感覚だと肯定的に評価しています。
第一次世界大戦後のベルサイユ条約は、ドイツに対し払えるはずのない額の賠償金を課すなど破壊的なものだったことなどは知っていましたが、
そのたった百年前のナポレオン戦争と比較してみるとこうも違うものかと驚きました。
(高校のときにも先生がいってくれていたのかもしれませんがあまり覚えていないです)
ドイツに憎悪をもつ国民の世論や、それをあおるマスコミに逆らえなかった結果であり
各国の代表はもっと穏やかなものにしたかったようで、
その後のドイツの暴走を生み、第二次世界大戦の一因となったことを考えると、ここには大きな教訓があります。
筆者は「歩兵の発達と近代民主主義の発達は軌を一にしており~以後敵に対する仮借なき戦い、怒りに燃えた戦い、敵兵のみな殺しがはじま」ったとしており、「民主主義の罪」だと述べています。
高校生はどうしても試験のために覚えるという作業になってしまいがちで、なかなか歴史を学ぶ意味や面白さということまで頭が回らないと思います。少なくとも自分はそうでした。
しかし、多少無理にでもとりあえず学んでおくと、大学以降で役に立つときがくると思います。
(もちろん高校生のうちに高い意識をもてればそれにこしたことはないですが。)
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4、高橋の各国つれづれ訪問記
高橋が過去に訪れた国を紹介するコーナーです。読んでも特に何の役にも立たないので読みたい人だけどうぞ(笑)。第11回はオーストラリアです!
首都:キャンベラ(オーストラリア独立の際にニ大都市シドニーとメルボルンの間で首都誘致の争いの結果、両者の中間地点に新首都として建設された町。人口は約37万人)
最大都市:シドニー(約520万人)
面積:770万平方キロ(世界第6位。日本の約21倍。)
人口:約2,550万人
一言メモ:オーストラリアでは選挙の投票率が常に90%を超える。(理由は正当な理由なしに棄権すると罰金が科されるから。)
オーストラリアは私が初めて訪れた国です。高校1年生の夏に約1カ月シドニーでホームステイをしました。
ホストファミリーは3人の女の子がいる家族で、本当に親切にしてくれましたし、子供たちもフレンドリーで一緒に遊んでくれたのをウン十年たった今でも鮮明に覚えています。
ホストファミリーは当たりくじを引いた一方、語学学校は正直イマイチでした。先生はオーストラリア人だったものの、生徒が全員日本人だったのでわざわざオーストラリアで学ぶ意味を見いだせなかったというのが理由です。(もっとも、全員日本人だった理由は自分が全く英語が出来ずに一番下のクラスに入ったから、なのですが。)
放課後に日本人同士でつるんで無為に時間を潰すのも嫌になり、後半は語学学校に行くのを止めてシドニーの街を探険していました。
最後の週は4泊5日でシドニーから2180km離れたエアーズロックへ一人で旅行しました。右も左も分からないまま現地のツアーに参加したのですが、英語が全く通じなかったにも関わらず、とりあえず何とかなってしまいました。
ツアー終了後、宿から空港までの行き方が分からず、歩けばなんとかなるだろうと思って砂漠のハイウェイを歩いていたら、ピックアップトラックの親切なお兄さんが拾ってくれて、無事空港にたどり着けました。(拾ってくれなければ多分たどり着けないくらいの距離でした。)
、、、その後あちこちでヒッチハイクをするようになったのはこのときに味をしめたからだと思います(笑)