高等部ブログ
リード通信第3号(2022年1月)
2023/03/08
こんちには。忠節校舎で英語を担当している高橋です。
本当に本当に多くの生徒が合格を勝ち取ってくれて喜び一杯ですが、その一方で残念ながら不合格だった生徒もいるので、後期に向けて出来る限りのサポートをしてます。
以下にリード通信第3回(2022年1月)をアップします。情報は当時のままですので、ご注意ください。
忠節校限定! リード通信Vol. 3 (2022年1月号)
(なるべく)毎月1日送信。ただしいつまで続くかは??
1、今月の予定(省略)
2、今月のお話
忠節校のスタッフが持ち回りで語っていくコーナー。今月の担当は日比野です。
こんにちは。日比野です。
ちょっと受験生に向けたお話になります。
いよいよ新年を迎えました。
年末から今日にかけて世間一般では浮かれたようなゆっくりしたような空気が流れている一方で、
受験生のみんなはそんな空気を感じられないくらい
色々と考えたり抱えたりしているんじゃないかなあと思っています。
僕は忠節校の講師の中では、あくまで忠節校の中ではだけれども、みんなと一番年齢が近くて、
いまだにこの時期になると自分の受験生のころを思い出します。
どれだけ努力をしても志望校は一向に見えてこなくて、
学校が終わったら外はもう真っ暗で、
塾では先生も友達もいて楽しくおしゃべりとかもできるんだけど、
塾から帰るときは一人ぼっちで寒いなか自転車を漕いでなんだか泣きそうになってきて。
世間一般からある意味孤独な状況で自分自身を見つめ続けた時期だったなあと思い出します。
そんな思い出とともに、思い出はだいたい他の何かと結びついて思い出されるんだけど、
当時ずっと心の支えにしていた歌を思い出します。
https://www.youtube.com/watch?v=wuBNOcPGIIg
※youtubeのリンクです。
ある朝テレビを流しながら学校の準備をしていたらこの曲がCMで流れてきて。
僕はテレビにくぎ付けになりました。
「今の自分にそっくりだ」
その歌が伝えるメッセージも、CMのなかに出てくる男子生徒も、
当時の自分とそっくりで。
まるで自分のために歌ってくれているような気がして。
「自分はもっとできる。ここで終わりじゃない。」
そう思いました。
その日から僕は食事を摂ることをやめて、
勉強の片手間にカロリーメイトとウイダーインゼリー(今はこの名前では無いですね)を摂る生活を始めました。
これが正しいことなのかは分からないし、志望校に近づくことなのかもわからないけれど、
それでもやっぱり自分の受験生活を絶対に後悔して終わりたくなくて。
とことんやり抜こう。できることはすべてやろう。
そんなことを思って自然にとった行動でした。
当時の自分を思い出すと病気だったと思います。
でもどれだけ命を削ろうとも志望校に合格したいという強い強い気持ちがありました。
今なおこの歌を聴くと魂が震えます。
18歳の自分が「もっとできるだろ。」と語りかけてきます。
もちろん自分を追い込むことだけが良いことではないし、
それが強迫観念に変わってしまう可能性があることもわかります。
それでも、辛いとき逃げたいとき、
「あともう一歩だけ進もう、あともうちょっとだけ努力しよう」
こう思えるかで見える景色が違うと信じています。
将来自分の幸せを諦めないために。本当に心の底から納得できる人生を送るために。
もうちょっと、あとほんの少しだけみんなには孤独と戦ってほしいと願っています。
今は味のないガムを噛み続けるような毎日かもしれません。
でもいつか夢が膨らんだときに、
この受験生活があってよかったと思える日が来ます。必ず来ます。
ファイト!
3、高橋の各国つれづれ訪問記
高橋が過去に訪れた国を紹介するコーナーです。読んでも特に何の役にも立たないので読みたい人だけどうぞ(笑)。
第3回はエルサルバドルです!
首都:サンサルバドル
最大都市:サンサルバドル(人口約25万)
面積:21,000平方キロ(四国より少し大きいくらい)
人口:約650万
一言メモ:独自の通貨を持たず、国内はアメリカドルが流通している。さらに2021年にビットコインを自国の法定通貨に加えたときは世界で大きなニュースになった。1969年には、サッカーワールドカップ予選での対戦をきっかけとして、隣国ホンデュラスとなんと戦争を始めてしまった。この戦争は俗に「サッカー戦争」と呼ばれている。
今回は中米の小国、エルサルバドルの紹介です。私はアラスカから南米の南端までの自転車旅行の際、2005年1月にグアテマラから入国しホンデュラスに抜けるまでの10日間ほど滞在しました。
エルサルバドルで印象に残っているのは、猛烈に暑い中、どこまでも続くと思えるような坂を大汗をかきながら登り切ったときに突然眼下に現れたどこまでも続く黒い(そう、黒いのです)砂浜と太平洋、そして空です。
誰もいない中、あまりの美しさにその場で野宿をして、一人占めをした夕日は自分の人生の中で見たどの夕日よりもすごかったと思っています。
エルサルバドルは度重なる内戦、戦争、更には環太平洋に属するため大地震もあったりして、入国する前は「荒廃した国」というイメージを勝手に持っていたのですが、実際はそんなことは全くありませんでした。
首都サンサルバドル(人口25万)は岐阜市(人口40万)よりも小規模ですが、非常に洗練された都会でした。(何といっても岐阜市には存在しないバーガーキングがあり、バーキン大好き人間の私は首都滞在中通いつめていました。(←日比野先生が、「各務原イオンにあります」と教えてくれました。これから通いつめたいと思います!)
外国からの旅行者が少ないせいか、人が変にすれていなく、特に子供は好奇心満載で、田舎の町に入ると子供たちに囲まれることも多々ありました。
その中でも印象に残っているのは最後に泊まった宿の子供たちです。お姉ちゃんは英語が出来なかったのですが、弟君が多少できたので、いろいろ話をしましたが、彼の異国に対する好奇心はものすごいものがあり、3時間くらいずっと質問攻めにあいました。(きっとこういう子が将来優秀な大人になるのだろうと思いました。)
夜は家族の夕食に招待してくれ、日本の歌を披露したり、折り紙を教えたり、翌朝は飼い牛の乳しぼりを手伝ったりして、最後の出発のときには家族総出で見送ってくれたのですが、そのときの弟君の「僕は必ず日本に行く!」の力強い言葉に、感傷的になってしまいつつも、未来は明るいな、と妙に幸せな気持ちになったのを鮮明に覚えています。
エルサルバドルにこのときのご恩をいつかお返ししたいと思ったまま、特に何もしないままこの歳になってしまっているのは大いに反省したいところです、、、。