高等部ブログ
『田辺の一冊』@忠節校
2022/04/23
リード予備校忠節校こんにちは。リード予備校の日比野です。
忠節校では毎月1日に「リード通信」をお送りしています。
内容は
・講師持ち回りのちょっとした話
・高橋先生の世界周遊記
・今月の予定
こんな感じです。
ここに4月より『田辺の一冊』というコーナーが加わりました!
リード予備校国語科主任の田辺先生(東京大学卒)がおススメの一冊を紹介するコーナーです。
田辺先生の書斎訪問動画がLEADTUBEで公開されていますので是非ご覧ください☆
LEADTUBEをみていただければ分かりますが、
田辺先生の本棚は
「え、こういう本を買う人が実際にいたんだ、、、」
という本ばかりです。
前置きが長くなりましたが、
『田辺の一冊』の第一回の文章があまりにも素敵だったので引用させてもらいます☆
※※※※※
田辺が月に一冊本を紹介します。みなさんが知らない分野を知るきっかけになればと。
今回は 自分が大学生の時に読んで衝撃をうけた文章を紹介します。
1947年に発表された、福田恆存(ふくだつねあり)『一匹と九十九匹と』です。
福田は聖書の見失った羊のたとえ話
「なんじらのうちたれか百匹の羊をもたんに、
もしその一匹を失はば、九十九匹を野におき、
往きて失せたるものを見いだすまではたづねざらんや。(ルカ傳 第十五章)」
を独自に解釈し、政治と文学の区別を説きます。
政治の意図は「九十九人の正しきもの」のうえにあるとしたうえで、
「しかし、善き政治であれ悪しき政治であれ、それが政治である以上、
そこには必ず失せたる一匹が残存する。
文学者たるものはおのれ自身のうちに
この一匹の失意と疑惑と苦痛と迷ひとを体感してゐなれけばならない。」と。
つまり、(以下、田辺の解釈です)
世の中には社会的に解決しなければならないいろいろな課題があります。
政治の問題、経済問題、環境問題、エネルギー問題など。
もちろんそれらは解決しなければなりませんが、それだけで人は救われるのか。
例えば、誰にでも自分だけの悩みはあります。
人を亡くした悲しみや、人間関係や、自分のコンプレックスなど…
これらは社会が解決できない個人の悩みです。
どんな法律をつくっても、科学で生活がどんなに便利になっても、
どんな平和な社会になっても解決するものではないでしょう。
この個人の部分を扱うのが文学だと言っています。
(ここでの文学とは広い意味での文学、音
楽などの芸術、宗教なども含んでいるといってよいでしょう。)
誰かの言葉によって気持ちが楽になったり、
小説に共感し感動して自分の悩みを忘れることがあるでしょう。
また、たとえ苦しいことがあっても、
なにか感動する経験があれば価値ある人生だといえることもあるでしょう。
人のこころにどこまで迫れるかが、文学の価値を決めるといえます。
もとの文章はもっといろいろな内容を含んでおり、
自分がうけた衝撃をうまく言葉にはできないのですが、
高校までほとんど文学を読んでいなかった自分が、
文学に関心が向かうきっかけの一つがこの文章でした。
(ちなみに2021年の慶應大の小論文でこの文章がでてました。)
福田恆存の本は文庫本でいろいろ出ていますので、ぜひ手にとってみてください。
(個人的には『私の國語教室』(文春文庫)は読んでほしい。面白くはないですが。)
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私も孤独を文学に救ってもらった経験が何度もあるので、
田辺先生のこの文章は胸に沁みました。
思想をもつことがまず素敵ですが、
それを受け手に伝わるように表現できるのも素敵ですね。
私も読んでみようと思います!
リード予備校・河合塾マナビス忠節校 日比野仁哉