高等部ブログ
名大医医&リード通信Vol.20バックナンバー
2025/02/16
こんにちは。
国公立大前期入試まであと少し。この時期は出社してから退社まで授業時間以外はひたすら英作文の添削をしています。
土屋先生がブログにアップしていましたが、忠節校舎から今年名古屋大学医学部医学科の推薦入試合格が出ました。
先日、その報告に来てくれた彼女と話をしたのですが、「リードでちゃんと対策をしていなければ絶対受かっていなかったです」と言ってくれました。(非常に優秀な生徒なので、それが本当かどうかはともかく、ですが(笑)。)
ただ、今回面接において評価の大きな部分を占める(と思われる)プレゼンテーションの練習はかなり徹底してやりました。
名大医学部医学科のプレゼンは、3つのお題の中から1つを選び、20分の準備の後に10分で発表をする、という形式ですが、この3題のお題がどれもなかなかの難問です。(彼女が今年出題された3題を説明してくれたのですが、難しすぎて高橋はチンプンカンプンでした(笑)。)
ただ、過去の出題から「名大が何を求めているのか」については私なりに想像がついていました。ここでは詳細は書きませんが、その対策をちゃんとやってもらったら、まさにドンピシャだったそうです。
プレゼンは事前にきちんと対策をしておくのと、ノーガードで本番を迎えるのとでは、結果に圧倒的な差がつきます。
今回は彼女のおかげで自分自身も成長できたと思ってます。名大医学部医学科の推薦を狙っている方はぜひ忠節校舎までお越し下さい(笑)。
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前回から1週間たったので、リード通信バックナンバーを1つアップします。情報は掲載当時のものになるので、ご注意下さい。
、、、下の私の訪問記で書いたアラスカのデナリ山。デナリは地元先住民の言葉だったのですが、先日トランプ大統領が「マッキンリー山」に名前を戻しました。まあ、なんなんですかね(笑)。
高橋
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忠節校限定! リード通信Vol. 20 (2023年6月号)
(なるべく)毎月1日送信。ただしいつまで続くかは??
1、今月のお話
つい先日の話ですが、東京工業大学の北野正明教授を中心としたグループが「室温でメタノール合成を促す触媒」を開発したことを発表しました。
メタノールはアルコールの一種で、それ自体は人体には有害ですが、プラスティックや合成繊維、接着剤、塗料、農薬、医薬品等の原材料になっており、現代社会においてはこれ無しの生活は考えられないほどの必需品となっています。
(ちなみに、消毒液に使うのはエタノール。今回はそっちでなくメタノールの話です。)
さらに、メタノールはアンモニアと並び、カーボンニュートラル、つまり二酸化炭素を排出しない社会の実現に向けて大きな鍵を握っていると言われています。
現在はメタノールは天然ガスから量産されていますが、水素と二酸化炭素から作ることもできます(水素+二酸化炭素⇔メタノール+水)。そのため、二酸化炭素からメタノールを生成する研究が盛んに行われています。
もしこれが実用化されれば、温室効果ガスである二酸化炭素を消費して有用なメタノールを作ることができるわけです。まさに一石二鳥の技術ですね。
当然のことながら、水素と二酸化炭素をただ混ぜるだけではメタノールは合成されません。反応を促す触媒が必要となります。北野教授を中心としたグループはパラジウムとモリブデンからなる金属間化合物を触媒に使用したところ、室温でのエタノールの生成に成功しました。(パラジウムとモリブデンが何なのかは私には分かりませんが(笑)、簡単に作れて耐久性も高いそうです。)
この研究ですごいのは、「室温で」の部分です。現在工業的にメタノールを作るには200~300度の高温が必要です。室温で反応を促す触媒が登場した、というのは今後の大きなブレイクスルーに繋がる可能性があります。
更に実験では、この触媒を使用してメタノールだけでなく一酸化炭素の還元にも成功しました。60℃以下ではほぼ100%メタノールが出来た一方、温度が高くなるにつれて一酸化炭素の量が増え、180℃では95%が一酸化炭素となったそうです。工業的には一酸化炭素も非常に重要な化合物ですが、生成には一般的に300~400度以上の高温が必要とされています。今回それよりもだいぶ低温で生成できたことも成果の1つだそうです。
アンモニアとかメタノールあたりはまさに「私達の未来を変える」研究ができそうですね。化学に興味がある方は、そのあたりをキーワードに大学を調べてみると面白いかと思います。
高橋
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2、田辺の一冊 田辺の独断と偏見で本を紹介します。
水村美苗『日本語が亡びるとき』
出版当時はかなりの議論をよんだらしい一冊。
私はたしか高校生のとき英語公用化が話題になったことがあり、その機会に読みました。
言葉と文明について〈普遍語〉〈国語〉〈現地語〉といった言葉を使って論じています。
日本語の表記についての話はとても面白い。
いろいろな変化を経て漢字・ひらがな・カタカナという日本語が創られてきました。
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
という萩原朔太郎の詩も
「仏蘭西」「フランス」「行きたいと思うが」などとしてしまえば、もとの詩情は消えてしまう。
このような表記による意味の違い、〈話し言葉〉とは異なる〈書き言葉〉の本質とは何かを論じています。
興味がある人は読んでみてください。
ただ、筆者が言いたいのは本書の一番最後の部分だと思います。
「日本の国語教育はまず日本近代文学を読み継がせることに主眼を置くべきである。」
「日本近代文学が生まれたときとは、日本語が四方の気運を一気に集め、もっとも気概もあれば才能もある人たちが文学を書いていたときだからである。~子供のころあれだけ濃度の高い文章に触れたら、今巷に漫然と流通している文章がいかに安易なものか肌でわかるようになるはずである。」
筆者は国語教育の目標を
みんなが読み書きをできるようにすることではなく、
筆者の言葉でいえば〈読まれるべき言葉〉(=近代文学)を読むことに置くべきだと言います。
私には日本の国語教育をどうするべきかという大きな問題はわかりませんが
近代文学をもっと読んでほしいという意見には同意します。
どんな分野でも一流のすごさを見てあこがれを持ち、それが原動力になる。
一流が基準になって、全体のレベルも上がる。
と私は考えますが、スポーツや芸術に一流がいるように書き手にも一流がいます。
日本語においてはそれが近代文学の書き手ではないのかと。
いろいろ読んでみてもちょっと古い時代の文章の方が面白いものが多いです。
これは私の懐古趣味もあるかもしれませんが、
昔の方が書き手のレベルが高かったというのは事実だと思います。
近代文学の時代(広くみて明治~昭和)は、才能も勉強量もあるたくさんの書き手が競い合い、
全体がものすごく高いレベルにあったのだと、いまから振りかえってみると思います。
自分の好きな人だと森鴎外、幸田露伴、永井荷風、太宰治、谷崎潤一郎、小林秀雄、福田恆存など。
(教科書によく森鴎外の『舞姫』がのっていますが、それよりも『最後の一句』『ぢいさんばあさん』『高瀬舟』『山椒大夫』の方が面白いしもっと読もうと思うんじゃないかと……私の勝手な考えですが)
令和の時代でも、基準を彼らの書いたものに置くべきではないかと思っています。
私個人の意見で、社会的にはそうではないのかもしれませんが。
もちろん全員が読んで面白いとおもうわけではないですし、その必要もありませんが、、
社会の中でごくごく一部のもの好きだけが読むというようになってしまうのはあまりにもったいないと思います。
水村氏も最後に福田恆存の言葉を引用してこういっています
「『古典とのつながりを最小限度に保つ』――みながそのつながりを保っていればいるほど、日本語は生きている。」
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3、高橋の各国つれづれ訪問記
高橋が過去に訪れた国を紹介するコーナーです。読んでも特に何の役にも立たないので読みたい人だけどうぞ(笑)。
今回はアメリカのアラスカ州、次回はアメリカ本土について書きたいと思います。(アラスカは国ではありませんが、アメリカ本土から離れているため別枠としました。)
州都:ジュノー(アラスカ州内第3の都市だが人口はたったの3.2万人)
州内最大都市:アンカレッジ(都市圏人口は40万人)
州面積:約1,723,000平方キロ(アメリカ最大の州。日本の約4倍)
州人口:約73.3万人(ちなみに岐阜県の人口は約200万人)
一言メモ:アラスカは当初はロシア領土だったが、1867年にアメリカが買収した。金額はたったの720万ドルだった。
アラスカにあるデナリ山(かつてマッキンリーと呼ばれていた山)は北米最高峰の山です。
しかしアラスカを訪れる多くの日本人にとって、デナリ山は「冒険家植村直己氏が遭難した山」であると言えるでしょう。彼の「青春を山に賭けて」という本が愛読書である私は、デナリ山をこの目で見ることが長年の夢でした。
国立公園の入口から66マイル先のエイルソン・ビジター・センターまでは自転車を積み込んでバスで移動しました。
最初にデナリ山が見えるスポットに着いたときに、観光ガイドを兼ねたドライバーが、「ここで山が見える場合はいつもなら写真を忘れずに撮るように言うんだ。なぜなら次のビュースポットに着いたときにはもう見えないかもしれないからね。でもさすがに今日は大丈夫だろう」と言うくらい、雲一つない快晴でした。
エイルソン・ビジター・センターでバスを降り、その先のワンダー・レイクまでは自転車で走りました。公園内は一般車通行禁止なので、大自然の中で完全に自分一人になれます。未舗装路なのでたまにバスが来ると砂ぼこりまみれになりましたが(笑)、それでもアラスカ山脈とその盟主デナリを見ながら、時にムース(アメリカにいるヘラジカ)とペアランをしながらのサイクリングは最高でした。
ちなみに、アラスカでサイクリング(と野宿)をしていて、「クマは怖くないのですか」と聞かれることがありますが、怖いとは全然思いませんでした。(どうも私はクマとの相性が良いようで(笑)、国内外問わず野生のクマには何度も遭遇しています。)
私がアラスカで怖いと思ったのはハエです。
アラスカのハエは巨大(日本のハエの3~4倍?)で、自転車で走っていると寄ってきて手の甲にとまり、汗の塩分を採るためなのかどうか知りませんが、手の皮膚をかじってきます。これが非常に痛く、下手すると出血します。
どうも彼らは集団行動らしく、来るときは必ず10匹くらいで来ます。
追い風の時は大丈夫ですが、向かい風のときは自転車のスピードが出ないので、彼らを振り切ることができません。ハエごときにやられるばかりでは癪なので、ぶっ叩いてやろうと思うのですが、自転車に乗りながらではなかなかうまくいかず。
アラスカでは何回もこの忌々しいハエに襲撃されました。奴らマジで狂暴です(笑)。